ロケットの打上げを見るのは難しい。
サークルのOB・OGは仰った。曰く、「学生のうちにロケットの打上げを見ておきなさい。社会人になってからだと難しい」と。だがサークル仲間と意気込んで種子島に上陸したものの、度重なる打上延期により一度は断念。翌年リベンジを試みたが、今度は発射台で火事がおき、ようやく視界に捉えたロケットは煙に包まれた。
しかし、延期になってよいこともある。
ロケット打上見学紀行、第四稿。
世界一美しいロケット発射場
一晩中飛ばないロケットを眺めつづけた我々は、昼になってようやく泥のような眠りから覚め、とりあえず宇宙センターへ遊びに行った。珊瑚由来のまぶしい砂浜、快晴の蒼い空、気持ちいい波の音が出迎えてくれる。絵に描いたようなthe南国である。
いつだったかテレビで、種子島宇宙センターは“世界一美しいロケット発射場”と紹介されていたことを思い出した。美しいなんて曖昧かつ主観的な感覚で世界一を決めてどうするんだと一笑したけれど、快晴の日に来てみると「なるほど。ココを超える発射場はまあないだろうなぁ」という気になってくる。
海を隔てた岬には、今朝とおなじように、飛ばなかったH-IIBロケットが鎮座していた。波が引くわずかな隙きに、岩穴からカメラをかまえる。
大航海時代には鉄砲伝来で帆船が浮かんでいた大海原をまえに、今はロケットが抜錨する。緑がかった海のブルーと、白い波しぶきと、ロケットのオレンジが本当によく似合う。納得の一枚。けれどこれは打ち上がっていたら撮れなかったわけで、喜んでもいいのだろうか……?
ロケットに接近する
「“せっかく”ロケットが上がらなかったから、できるかぎり近くまで行ってみよう」という話になった。昨夜の火事のこともあったし、どこまで近づけるかは未知数だけれど、車を射場の方向へ向ける。止められたら引き返せばよいのだ。止められなかったらどうしよう……(笑)。
ロケットの丘展望所から見ると、バックに広がる太平洋も相まって画になる。ここではまだ望遠レンズが必要だった。
「こんな近づいていいの?」と思いつつ、さらに車を走らせる。昨年の打上延期のとき、ボクは東京に戻ったが、残留組には目星をつけた場所があったらしい。
なんと目の前だ。遠目に見てきたロケットが、数百メートルのところにある。
ディテールもはっきりわかった。フェアリング(一番上の衛星を守る白いカバー)に付いている小さな出張りは、衛星が入りきらないからあとで設計に付け足したと、昔誰かに聞いたような……。こんな近くでじっくり観察できるのなら、もうすこし勉強してくればよかったと後悔した。
あんまり近いので広角レンズに変えて、みんなで並んでロケットと記念写真も撮れてしまう。ああでもないこうでもないとやっているうちに、全員バラバラのポーズをしたり、タイミングずれのジャンプ写真を量産した。
夕暮れ時になると、機体はゆっくり組立棟に帰っていった。片面が夕空に照らされたロケットも、なかなか趣があって美しい。今回も上がらなかったが、機体を見られただけでも不思議と満足していた。着実に最終ゴール「打上見学」へ近づいている(笑)。
ワカメさんとの会食
「会食の約束がある」というセリフに驚いた。島にYと親しい人がいるとは知らなかったし、Yがそうした企画をするのは珍しい気がする。
聞けば相手は、ツイッターのロケット界隈でよく見かけるワカメさん(仮名)だという。何度かお会いしたこともあったが、しっかり話したことはない。なかなか宇宙開発の話ができる友人(先輩)をつくるチャンスはないし、おもしろそうじゃないか。Yとのロケット談義に、すこしばかり挟ませてもらえたらラッキーと思った。
ところが蓋を開けてみると、Yとワカメさんは初対面で、ツイッターでしか話したことがなかった。ネットで知り合った人と実際に会ってはいけませんと、小学校で習わなかったのだろうか(笑)。ともかくYの行動力に舌を巻き、ロケット見物を終えた夜、ワカメさんと顔を合わせた。
ワカメさんは生い立ちを聞かせてくれた。これがなかなか考えさせられた。自分とはずいぶんちがう。
ワカメさんの人生はまさにロケット三昧である。高校からロケット一筋、自作ロケットの大会で日本記録を更新したこともあるらしい。その後、地元を出て大学で一からロケットサークルを立ちあげ(そこでボクはワカメさんを知り)、今は種子島でロケットに関わっている。そこには進路や大学での並々ならぬ苦労と試行錯誤があり、苦しかったころの話をたくさんしてくれた。
ボクがまったく苦労していないとはいわないが、ワカメさんの話をきくと正直自分の境遇は、大変運がよいものに思えてくる。進路に困り果てるような経験は数えるほどしかなかった。なんだかんだでいわゆる進学校に通うことができ、気のいい友人たちと自然に切磋琢磨した(というより引っ張られた、というのが正しい)。実家が東京なので、覚悟をもってひとり上京というようなこともなく、学歴に困らない程度の大学に進んだ。そこでもまた仲間に恵まれている。しかしこれはまったくの偶然が連続した結果である。
ワカメさんはボクらのサークルでの活動を羨ましがっていた。「もし自分が同じ大学だったら、参加していたにちがいない」という。表向きの広報とちがって初歩的失敗ばかりだった(この失敗談を集めていずれ記事でも書こうかな)し、ボクは他のサークルを羨ましがる傾向にあったので意外だった。
整理して考えてみると、ワカメさんが羨ましがる理由は、ボクらが(というよりボクが)仲間に恵まれた点にあるようだ。話を聞いてみると、ワカメさんはなにかをはじめるとき、一からひとりでということが多かったのかもしれない。その点、たしかに無茶苦茶な計画を立案したボクに対し、それを笑うのではなく一緒になって計画を進めてくれるメンバーがいたことは、幸運だったと思う。
ワカメさんは「そうした仲間を得られたのは大学がよいから」というニュアンスの話をされた。ボクは自分の大学しか知らないので、その指摘が的を射ているのか、この点で学歴が関係するのか、わからない。
仮にそうだったとすれば、世の中にはワカメさんのような志を持ちながら、運に恵まれず苦労している人がたくさんいるのだろう。ボクもそのひとりになった可能性は十分ある。もしワカメさんのような苦労の多い人生を歩んでいたら、ボクはどうしていただろう。ワカメさんのように粘り強かっただろうか、と想像させられた。
しかしおもしろいことに、異なる人生を進みながら同じ宇宙開発という方向を向き、こうして仲良くさせてもらっている(こっちはまだ学生だが)。共通する趣味や目標をまえにすると、これまでの人生や生き方のちがいに関わらず話が合う。最近の宇宙開発界隈の時事トークや、仕事の話を興味深く聞かせてもらった。尊敬する話、おもしろい話が多々あった。
別れ際に印象的なことがあった。ワカメさんは「学生のうちにやりたいことをやったほうがいい」と、ボクらにひとつアドバイスした。よく社会人から言われるセリフなので、「シルクロードをアジアから逆に辿ってみたいんですよ」と軽く返した。これ自体は本心なのだが、たいていの人には笑われる。「ひとりで行ってこい、見たいからYouTubeで実況してくれ」と(笑)。
今回もデカい話だなぁと笑われるつもりで言ったのだが、予想外にワカメさんは「ああ行ったほうがいい」と大真面目で返してきた。社会人になったらできないとか、学生のうちにやっておけ、という話はともかく、“やりたいことを、できるときに、やりたいだけやる”精神は大事かもしれない。ワカメさんの態度はそれを体現しているように思えた。
* * *
今年も残念ながらロケット打上見物はならず、H-IIBロケットはとうとう退役してしまった。けれど宇宙へ飛ぶ本物のボディーをじっくり観察したし、けっこう遊んだ。
人生においておそらく最初で最後のタピオカミルクティーを、男二人で飲んだ。東京では決してできない。ボクはタピオカミルクティーのタピオカ抜きが好みだとわかった。あとカルボナーラにレモンを絞った料理があったが、あれは美味い。
鉄砲館は鉄砲のみならず、先史時代からの島の歴史展示が充実していた。これまで訪れた博物館のなかでも満足度上位である。火縄銃はけっこう重かった。
ビーチでドローンも飛ばした。『秒速5センチメートル』の限定パスケースもゲットした。そういえばまだカヤックはやっていない。星を撮る素晴らしいポイントを見つけたのに撮れていない。まだまだ種子島を遊び尽くせていない。たぶんまた「ロケットを見に行く」を口実に島へ出かけるのだろう。このシリーズ、終わる気配がしない。