きょうは人生5度目の日食のはずである。これを逃すと次は10年後、2030年らしい。カメラを準備しフィルターをかけ、きっかり8分おきにシャッターを切る。

 「インターバル面倒くさい」ボクがボヤいた。
 「その言葉自体おかしい。インターバルは本来自動でできる」と弟。

 ポンコツ一眼レフだから仕方がない。仕方がないし8分間暇なので、これまで見た4度の日食の思い出話でも聞いてほしい(お時間のある方、後編『日食撮影中に取材を受けた話』もどうぞ)。

 それにしても雲が厚くて、太陽がどこにいるのかすら分からない。

2009年、はじめての日食“観測”

 はじめて日食を見たときの印象は強烈に残っている。日本はトカラ列島が皆既日食帯に入る予測だったので、数ヶ月まえから話題になった。ボクも定期購読していた雑誌『子供の科学』で情報を得て、一応科学少年なりに、なんとか部分日食を“観測”しようと意気込みはじめる。

 ただひとつ大きな問題があった。ボクの住んでいた香港で、いつどう見えるのか分からない。小学生にインターネットは使えなかったし、日本語の本も滅多に手に入らない。頼りになるのは『子供の科学』しかなかった。しかしもちろんのことながら、香港の情報は書かれていない。仕方なく自分で計算して予測を試みたが、あまりにも難しかった。

 1週間ほどまえになって、当時通っていた塾の理科の先生が、日食の経過の予測図を持っていると知った。無理を承知で自分用に1枚コピーしてくれと頼み込んだ。もちろん返答はダメ。塾の印刷機を使うことも、一生徒を優遇することもマズいのだろう。そのときは落胆したものだが、授業のあとで少し後ろめたそうに渡してくれたのに驚いた。内緒だった気もするけれど、もう時効なはずだ(笑)。先生、ありがとうございました。

 情報を得たので、あとは観測方法である。いろいろ思案したが、月50香港ドルのおこづかいでできるのは、ピンホールカメラくらいしかなかった。大きいほうがカッコいいし像もデカいという単純思考のもと、全長1m超の巨大ピンホールカメラを自作。塾の宿題そっちのけだったため先生に叱られ、あとで大きなカメラの写真を見て呆れられた。

ピンホールカメラで日食を観察する
トイザらスで買ったニュートン反射望遠鏡(2000円くらい)に、自作ピンホールカメラを据え付けて、部分日食を眺めた。見てくれを気にせずコスパを追求するのはいまも同じ(笑)。

 そして、時に西暦2019年7月22日。日食当日。近所の日本人も集まってきて、ピンホールカメラを覗きこんだ。歓声が上がった。一方でボクは不満だった。

 まず、像が真円ではなく歪んでいる。これはカメラ先端にあけた穴の問題である。もっと細い針を刺して小さな穴にするか、全長を短くすべきだったろう。さらに決めた時刻に写真を撮ろうとしても、見に来た近所の人を退かせるわけにはいかない。

 結局予定どおりのまともな“観測”にはならず、終始不機嫌だったボクは周囲の反感を買った。あまりよい思い出ではない。とはいえ、初めて天体現象を体験して、本当に太陽が欠けている事実に感動したのだった。

2010年、日食を予測してハズした

 2009年の日食を調べているとき、気づいたことがある。小学館の宇宙図鑑を見ると、皆既・金環日食を見られる場所が、世界地図の上に帯状に描かれていた。それによると2010年1月15日、中国で金環日食がおこる。このとき日本で見られず、香港では見られる部分日食があるのではないか?

 それが本当だとして、今回は『子供の科学』に記事もない。どうして塾の先生に頼らなかったのか覚えていないが、当時のボクに知る手段はなかった。宇宙図鑑の図に定規を当てて、自分で計算することにした。江戸時代に日食を予測した学者、麻田剛立への憧れもあった。

 どう計算したかも覚えていない。概算ではあるが、金環日食帯からの距離や時差をちゃんと考慮し、時刻、欠け具合まで予測した。そうして、日没前に太陽の先がほんの少しだけ欠けるかもしれないという結論を得た。中学受験1年前だったし、欠けてもちょっとだけなので、特に観測計画は立てず確認だけすることにした。

 時に西暦2010年1月15日、自分の予測が正しいか、確認する日がやってきた。山に沈む夕日が見えるであろう、高層マンションの友人宅に伺った。

 そんなバカな! 窓から景色を眺めたボクは驚愕した。

 たしかに日食はおきていた。だが予想に反し、燃えるように真っ赤で大きく欠けた夕日が、山際に沈んでいった。半分くらい欠けている。遮光板も通さず、嘘のように美しい光景をただただ眺めた(悪い子のみんなだけマネしてね)。

 予測をハズし観測計画を立てなかったことを悔やんだ。

*   *   *

 それにしても太陽のない空を撮りつづけるのは虚しい。雨が降りそうだ。

 長くなってしまったので、つづきは後編『日食撮影中に取材を受けた話』で。