成層圏から見た地球

自己紹介

北アルプス・燕岳にある燕山荘にて、カッコつけて自撮り。ぼっちで。

アロー

宇宙好きの大学院生です。
ロケットエンジンを研究したり、星を眺めたりしています。
宇宙船の窓越しに、土星の環を眺めながら紅茶を飲むのが夢。
けれどそのまえに定期圏から脱出しなくては。

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このブログでやりたいこと

 このブログでやりたいことを忘れないように記しておく。

 ボクは物心ついたときから博物学的なことが好きだった。博物館の標本をスケッチするのに何時間も費やす子どもだった。

 中学生になると地学部の先生の影響を受け、この習慣はすこし発展する。スケッチブックの代わりに野帳を持ち歩くようになった。野帳というのは測量や野外調査に使われるフィールドノートだ。ここに個人的に新しい知見や体験、ふと思いついたアイディアなど、とにかくなんでも時系列で書き連ねていく。そうして中学1年生からつづけて、いまでは本棚に30冊以上ならんだ。

地層を撮るときはスケール代わりに野帳を使うときも。地質学者っぽさを求めて(笑)。伊豆大島の裏砂漠にて。

 昔の野帳を読み返すとなかなかおもしろい。学会で聞いたマニアックな話、巡検での観察記録、一対一で取材した町工場や省庁の人、研究者の話――ネットでは知りえない知的財産の宝庫である。ただいずれも個人的なメモの粋を出ずもったいない。

 そこで野帳の中身を整理し自分なりの博物誌としてまとめようというのが、このブログ『アローの野帳』の趣旨である。プライベートでは備忘録に使っているが、せっかくネットにアップするのだから、読者とのあいだに何か相乗効果が生まれてもおもしろいと思う。ボクもオンライン博物館をつくるみたいで楽しい。

大プリニウス著『博物誌』。ポンペイの噴火をはじめ、古代ローマ時代のあらゆる知識がまとめられている。写真は現存する最古の印刷本のひとつ(国立科学博物館の大英博物館展にて)。

 もうひとつ、「ひとりの人間が人生を通して得た知見を体系的に記録したら、どんなものができあがるか?」という興味もある。

 ボクの祖父は幾度か歴史的な出来事に遭遇しているらしいが、あまり多くを語らない。意図してかもしれないけれど、おそらく本人が忘れてしまった部分も多いと思う。日記でも付けてくれていたら読めたのだけど。

 だから役に立つかどうかはさておき、ボクは可能なかぎり記録を残しておく気でいる。ついで人生の終盤に美しいビジュアルで一冊の本にでもまとめてみたい。どんなものができあがるだろう?

※そんなわけで、本ブログの記事の執筆日には簡単なルールを決めている。記事に書かれた出来事から3ヶ月以上たっている場合、3ヶ月以内の適当な日に設定する。最新記事が必ずトップに表示されるわけではない。あしからず。

ボクの経歴

  • 20世紀終盤に生まれる


  • 香港に住む

     小学生のころは香港に住んでいた。種々様々な人種、言葉、文化が混じりあった国際都市だった。

    中国航天の(おそらく)長征2号Fロケットと、スケッチブックを片手にしたボク。当時はまだそれほど宇宙好きではなかったけれど。香港と三角州を挟んで対岸に位置する、珠海で開かれた航空宇宙展にて。

     夕方になると、公園にいる子どもたちでサッカーを楽しんだ。チームはよく多国籍になって、あるとき数えてみたら計12カ国もあった。ボクも含め英語ができる人ばかりではないので、試合中の意思疎通は身振り手振りと表情、それに誰でも知っているような簡単な英単語で工夫を凝らした。

     これがおもしろかった。妙な先入観や偏見が植えつけられるまえに、お互いナニ人であろうと関係なく対等なコミュニケーションをしていた。人間同士として当たり前だった。ボクらは国際交流の前線にいたんじゃないかと思う。のちに自分たちのしていたことの難しさに気付き、中学受験の面接でスピーチの題材にした。ただその実は多少正しておかねばなるまい。面接では言わなかったが、誰でもわかる簡単な英単語の最たる例は「f##k!」だったりする(もちろんお互い笑顔で言ってたけど)。


     こうして“あまり言葉が通じなくても何とかなる精神”を身につけたボクは、終いにはマ#ドナルドに行ってジェスチャーだけでチーズバーガーを頼むまでになった。これはこれでよかったのかもしれないが、もっと英語を勉強しておけば……(笑)。現地の剣道道場にも通った。こういうときに限って日本語でよいにもかかわらず、広東語で号令をかけたりして笑われた。


     言葉の話はともかく、価値観が形成される10歳前後に、グローバルな環境に身をおけたのは実に幸運だったと思う。あらゆる国の人がいるので、異文化に触れるのは珍しくなかったし、その理由を探ると香港の特異な歴史へ目が向く(1997年までイギリスの植民地だった)。初めて太平洋戦争について学んだのも、歴史博物館で日本による香港占領の展示を見たときだ。歴史、外交、文化、格差、多様性、政治体制――そういうものに関心をもつのは自然な流れだった。

     香港を離れたいま思うことをカッコつけて言えば、当時のボクはあるべき未来のグローバル世界を眼にし、その空気感を肌で感じていた。間違いなく香港での経験がボクの根底にあり、ひとつの基準をつくっている。


  • 光害を研究する

     日本に帰国して中高一貫の男子校に通った。

     香港で培った好奇心がはたらいて、さまざまな物事に手を出しては挫折した。まず泳げなかったのに水泳部に入り、オリンピック選手育成チームにいたというスイマーたちのあいだで溺れた。俳句甲子園予選に二度出場したが、センスのなさに愕然とした。アメリカ人と10日間合宿する国際交流プログラムに参加したが、未熟な英語力は隠しようがなかった。日本地学オリンピックの本選進出に、1点足りなかった。


     大半の試みが失敗に終わったものの、すこしは実を結んだものもある。ひとつは放送委員会。校内の放送業務を一手に引き受ける、生徒10人の風変わりな自治組織だった。

     小さな放送室は閉鎖環境に近い。ここで長時間の仕事をするには組織としてのまとまりが不可欠だった。ところが教師陣や各団体はクライアントのような立場で指導はほとんどない。仕事の方法、先生や団体との交渉、次期委員の選抜、後輩への引継ぎ――すべてを自分たちで解決しなくてはいけなかった。しかも一度入ると6年間やめられない。組織のまとめ方も仕事の配分も、リーダーシップ、フォロワーシップも、実戦で学ばざるを得なかった。これがのちに活きてくる。


    地学部の天体観望合宿にて。これを撮ったときはぼっちではない。

     そして地学部の活動。校内屈指の活発な部活だった。その理由は「本物を自分の眼で見て確かめよ」という、南極越冬隊員だった顧問の先生の考え方にある。巡検といって採集や観察、学会のために各地へ出かけていた。(ボクの恩師でもあるその先生が最近ブログをはじめた。ぜひご覧いただきたい。)

     そこで仲間たちと主に光害という公害の研究をしていた。車の排気ガスやPM2.5など(エアロゾルという)が大気中をただようと、街の光が反射して夜空を明るくしてしまう。都会で天の川が見えない理由だ。学校は都心にあったので、天体観測に向かないことを逆手にとったテーマだった。星好きだけの問題ではなく、がん患者が増えるとか、野生動物への被害も報告されている。

     高校時代、晴れた夜は毎晩観測に没頭し得られたデータと格闘した。天文学者の先生に指導を受けるため天文台へ通った。友人の助けもあって学会で発表して賞ももらった。けれど想定すべきパラメータが多すぎたし、数年ではデータが足りない。もっと長く研究していれば上手くいったのかは分からないけれど、思うような結果にはたどりつかなかった。研究のおもしろさと難しさを知った。


  • 成層圏に気球を飛ばす

     多少物事を選ぶようになったとはいえ、大学生になっても性懲りもなく諸々試みては失敗している。

     宇宙好きが高じてロケットをつくるサークルに入会した。しかし宇宙までは届きそうもない。そこで気象観測に使われる気球「スペースバルーン」から、ロケットを空中発射して高度を稼ぐアイディアを思いついた(のちに先駆者がいて、ロックーンという名前まで付いていると知る。一番乗りは難しいなあ)。

     実現に向けてサークル内に新しいチームを立ち上げたが、問題は山積みだった。中高の放送委員会とちがい、組織の歴史も仕事のルーティンもない。ゼロからのスタートである。新しいことをするのに逆風は付き物で、人集め、資金獲得に長く苦戦した。そろそろ時効だと思うので書いてしまうが、「机上の空論の天才」と言われたときはなかなか刺さった(笑)。

     計画を立てては頓挫し、また新たな計画立案をくりかえす。自分しか活動している人がいなくなったり、他団体と交渉してまわりに迷惑をかけたり。しかしそうこうして2年、運よく外部の方々の協力でスペースバルーンの実験の機会を手に入れる。友人の勧めでプロジェクトマネジメントも勉強した。おかげでなんとかチームを再建し、引退間際、成層圏に気球を飛ばすところまでこじつけた。

    成層圏から撮影した景色。この高度では空気が薄くなり、眼下の大気の層と暗い宇宙が明瞭になってくる。中央に見えているのは宮古島。

     無謀と言われた計画に仲間たちが乗ってきて、助けてくれたのは感謝しかない。いまは後輩たちがチームを継いでくれて、たまに活動の話を聞いては喜んでいる。


  • ロケットエンジンの研究

    実験でJAXA角田宇宙センターへ行ったときの一コマ。JAXAのロゴは何に付けてもカッコよく見えるからズルい。

     最近のボクは大学院生になり、研究室でロケットエンジンの研究をしている。もちろんこちらも日々失敗ばかりだけど(笑)。