数年を経て見返すとだいぶ恥ずかしい文章なのだが、当時の状態を表すものとしてそのままにしておく。
2019年の年始に「2018年の振り返りと、2019年の『アローの野帳』」という記事を書いた。完全に自己満足の記事でしかないけれど、これがなかなか効果的でよかった。過去の自分がこれまでをどう振り返り、何を将来に見出し、そのためにどんなステップを踏もうとしていたのか。その目標はいまとどう乖離しているか。確認するために自分で何度も読み返した。
無論、こんなものは人に見せず、自分専用のメモとしておいてもよいのだが、やはり公開すると緊張感がちがう。ほどよくメリハリがつくのである。言ったからにはやってみせようと、妙な自信も生まれる気がする(他言した目標ほど実現されないという研究結果もあるらしい。真実はどちらだろうか。まあいい)。
そんなわけで、2年ぶりにこうした文を書こうと筆をとる。
トップ画像:マジックアワーに染まる湘南の海岸。
2020年を振り返る
コロナ禍の内省期
なぜ2年ぶりかというと、昨年は書く気力が消えていた。ボクの’19~’20年は、自分の進歩とは裏腹に、かなり精神的にまいっていた。つねに悲しさが込み上げてくる。けれどその理由がわからず、必死でもがく日々。眠りにつくまえに涙を流したのも一度や二度ではない。
一時はうつ病を疑って、ネットに転がっているあらゆるうつ病簡易診断アンケートを試した。すべてが“重度のうつ病の可能性あり”という判定だった。病院に行こうか迷ったが、しかしこうなったのは何か理由があるはず、とそれを探しつづける。
そんなとき、COVID-19のパンデミックがおきた。緊急事態宣言が発出され、街から人が消えた。世間では雇用問題や医療の逼迫が叫ばれた。
しかし不謹慎とは思うが、ボクはこの事態に救われ、ホッとしていた。大学への登校やタスクが減り、内省する時間ができたからだ。思えば中学受験からつねに競争の渦中で戦闘モードにあって、ゆったりと過ごす時間をとっていない。
蓄積したストレスに気付き、肩の力を抜く。そして自分のペースを思い出す。
もしコロナ騒動がなかったら、どうなっていたかわからない。自殺願望はなかったが、遠からず死ぬんじゃないかという気がしていた。
だが内省する時間が増えても、すぐには悲しくなる理由はわからなかった。ほんのちょっとした刺激ですぐに落ち込んでしまう。夏にはバイトをやめ、秋にはツイッターやニュースを見ることもやめ、人には極力会わないようにした。
そして冬になってようやく、悲しみやストレスの原因がわかった(と思う)。プライベートな話だし、自分でもまだ整理しきれていない。ここでは詳細は省くが、簡潔に言えば、外部からの極端な負の干渉が、ボクの無意識に大きな影響を与えていたのが理由だった。その気付かぬストレスが長年積もりに積もって、限界に来ていた。理由がわかれば、対処するのみである。
結局、悲しみが消えることはなかったが、精神的疲弊はだいぶ改善された。いまは前を向けているし、アイディアを練ったりもできる。ひと区切りついた。
読書と筋トレの習慣
“ステイホーム”でマイペースを思い出したことにより、新しい習慣が生まれた。前節の話とつながるが、外部の目を気にして無意識に避けてきたものの、実は好きだったことを発掘した次第。
まず、年に何冊も本を読むようになった。それまで年1冊読めばよいほうで、活字が嫌いだと思っていた。ところが時代にそぐわず、いまは純文学にハマっている。特に芥川龍之介の散文に魅せられている。
もうひとつ挙げるならば、筋トレだろう。ムキムキとはいかないが、丸1年つづいている。意図していないものの、達成感がある。
研究生活がはじまった
5月ごろから研究室に入り、本格的な研究生活がはじまった。念願のロケットエンジンの研究。精神を病みながらも、昼は気持ちを切りかえて踏んばった。
研究には個人の裁量が反映される。タスク処理、スケジュール管理、研究に対する姿勢や専門用語、身についたことは多々ある。’21年も新鮮な経験がたくさん待ち受けているのだろう。すこし怖いような、ワクワクするような。
2021年の野望
前章第1節のとおり、身辺整理がつきそうなので、2021年は再始動の年と位置づけたい。そう思って書き出してみると、抱負というよりは野望になってしまった。まあいいだろう、長期目標はデカいほうが楽しい。
シンプル(かつテキトー)に生きる
いきなり抽象的なスローガンだが、これは来年の一大目標である。
’19年と’20年はいろいろ考えすぎた。誰かのさりげない一言やニュースで一喜一憂していた。そうなったのは過去からつづく呪縛に捕らわれたからで、抜け出したい。
過去を振り返らず、あれこれ考えない。周囲の目を気にせず、自分のルールを信じて進む。近しい人を大切にし、喜怒哀楽を純粋に感じる。そういう本当は当たり前と思っている、シンプルである意味テキトーな、自分なりのライフスタイルを確立したい。
科学者としてやっていけるか?
なんだかんだ研究が楽しい。ボクは学力もなければ要領も得ないのだけれど、どうやら研究自体は好きらしい。そこで最近になって、長らく封印していた科学者になるという夢を再考している。
’21年は学会で発表したり、論文を書いたりするだろう。将来を決める重要な年になる。研究を好きでいつづける工夫をしたい。
学問として、科学を学びなおす
ずっとテストや受験勉強に追われ、勉強が嫌いだと思っていた。しかしこの1年の内省をへて、テストもないのに勉強するようになった。単純に周囲から干渉されたり、競争するのが嫌だったのだろう。
そこで、今後数年をかけて科学を学びなおし、自分のなかでちゃんと体系化しようと考えている。テストのためではない勉強。疑問をやり過ごさない学問としての科学。そうしてオリジナルの教科書をつくりあげようというマイプロジェクトだ。
今度こそ、英語の習得
これは例年目標に掲げているが、ちっとも進まない。しかし今年は状況がちがう。研究で実用する機会にさらされる。逃げ場がない(ノーベル賞受賞者の益川氏は逃げていたともいうが)。
とりあえず、①海外旅行で困らない、②SNSやWeb上で困らない、③学会発表で質問対応ができる、を目標に、高校レベルからもう一度やり直している。
新しい一眼レフを買う
’19年も目標にしていたが、未だに買えていない。
入門機を使いつづけて10年、さすがに満足できなくなってきている。いまのカメラでは、天体写真を撮るにしても30秒までしか露光できない(レリーズを付けられない)。ダイナミックレンジも物足りない。
ぼっちキャンプをはじめる
『ヒロシのぼっちキャンプ』なる番組に感化された。自然のなかで、ひとり自分を見つめなおす。シンプルなライフスタイルにぴったりではないか。
ワンドロをはじめる
昔から絵をかくのは好きだったが、デジタルではどうもうまく描けたことがない。その理由は水彩画風の描き方をしているからでは、と思いはじめた。ボクは油絵のほうが得意なのだ。これならスピーディーに描ける。
そこで、研究で時間的余裕はすくないので、ラフに1時間で描く試みをはじめたい。界隈ではワンドロと呼ばれているらしい。
ボクの場合、芸術性はさほど求めない。ボクが絵をかく目的は、自分の想像の世界観や光景を、ほかの人に伝えイメージしてもらいたいから。そのために、わずか1時間で1枚を仕上げたい。
2021年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。