ユリア・フェリクスの賃貸広告

 ポンペイをひと目見たいと思っている。

 古代ローマの一地方都市。西暦79年におきたベスヴィオ山の噴火で灰に埋もれた。以来すばらしい保存状態で、当時の生活品や街並みを現代に残している。発掘された2,000年前の街を歩く――ロマンがあるじゃないか。

 とはいえ、ヨーロッパにはなかなか行けないので、東京国立博物館の特別展「ポンペイ」でひとまず満足することにした。驚いたことに、2,000年前から人の暮らしは大して変わっていないように見える。

2,000年前の水道管に見る技術力

 治水技術というのは、地味だがけっこうおもしろい。

 水は生活の生命線だ。どの国のどんな時代でも水を制するものが世を治め、世を治めるには水を制するのが鉄則といえる。21世紀になっても水資源の問題は絶えないし(むしろ重要になっている)、かの武田信玄は洪水にそなえて信玄堤をつくり人々に認められた節がある。

 だからボクは古代のものを見るとき、なるべく治水技術に注目することにしている。文明の発展度をはかるバロメーターになる。

 これまで見たなかで最古の治水設備は、奈良・飛鳥のものだった。1300年もまえに噴水をつくったり、流れる水を時計代わりに使ったりしたらしい。アイディアに脱帽である。

 けれども世界規模で見るとささやかなものでしかない。2,000年もまえにポンペイにはふつうに噴水も水道もあった。どうやら飛鳥を上回る技術レベルで。

ポンペイの水道管
ポンペイの水道管。右の栓を左のパイプに挿して使ったらしい。栓を回すと栓の穴とパイプの管路が重なって、水が流れる仕掛けだったのでは?

 青銅製の水道管は古さを感じさせない。いま工事現場で見かけたとしてもあまり違和感がない。構造を観察するとおもしろいことに、蛇口のように栓をひねって流す水量を調整できると見える。シンプルながらよい仕掛け。これが2,000年前の街にシステマチックに張り巡らされていたとは……。邸宅も豪華だし、案外いまの住宅街と大差なかったのでは?

 水道だけではない。医療器具や測量器具、コンパスなどの文房具まで、いまと変わらないものがたくさん並んでいた。そのなかですこし興味をそそられたのが日時計だ。

ポンペイから発掘された日時計。シンプルだが実用的だったのだろう。

 小学校の理科の授業で使うような、いかにもザ・日時計という形をしているのだが、そのシンプルさゆえ使い勝手がよさそうに思える。まだ電化製品のない時代にかなり便利な代物だったにちがいない。

 ポンペイで発掘された器具は、どれもシンプルで利便性が追求されているようにみえた。だから2,000年経っても古さを感じないし、昔の人々の暮らしを想像しやすいのだろう。

 だがこれだけは、どう見てもたこ焼き器にしか見えない(正解はパン焼き器らしい)。

どう見てもたこ焼き器にしか見えないパン焼き器。実はたこ焼きを食べていたりしないか?(笑)

2,000年前の賃貸広告に見る古代ローマ社会

 技術への驚きを超えてさらに感心したのが、落書きのように文字が書かれた一枚の壁。

ユリア・フェリクスの賃貸広告
ユリア・フェリクスの家から出土した賃貸広告。2,000年後、額縁に入れて飾られているとは思っていなかっただろう(笑)。

 こう書かれている。

「スプリウス・フェリクスの娘ユリアの屋敷では、品行方正な人々のための優雅な浴室、店舗、中2階、2階部屋を、来る8月13日から6年目の8月13日まで、5年間貸し出します。S.Q.D.L.E.N. C.」(「期間満了になれば、賃貸契約や自動更新されます」、もしくは「ご希望の場合は家主にご連絡ください」)

監修者が解説、特別展「ポンペイ」の見どころ、2000年前が鮮やかに蘇る,https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/360768/011100072/,2022-03-10アクセス.

 2,000年前に賃貸広告があったとは! あまりに生活感あふれる痕跡に、親近感を覚えずにはいられない。

 そしてこの広告のすごいところは、書いた人にある。

 ユリア・フェリクスという女性で、おそらく奴隷など下層階級の生まれだったという。くわえて当時のローマ帝国は、残念ながら現代日本と同じ男性優位の社会であり、ジェンダー格差があった。つまり身分が低く女性という困難な状況にありながら、アイディアでビジネスを展開し、したたかにのし上がろうとしていた。資本主義社会で逆境を乗り越えてチャンスを狙う、いまの起業家たちと似たマインドを感じる。

 ユリアさんが21世紀に生きたら何をしていただろうか? 2,000年後の一市民として、尊敬の念を表したいと思う。

 古代ローマ社会と現代社会に共通点はたくさん見つけられる。けれども決定的にちがうところがあるとすれば、それは公然と敷かれた奴隷制度だろう。

 しかし2,000年の時の隔たりがあっても、やはり人間性に変化はない。苛烈を極めるひどい動きの裏で、すこしばかり人道的視点を感じさせるものもあった。

モザイク画「メメント・モリ」。富裕層(左側)であろうと貧困層(右側)であろうと、どのような社会階層の人にも平等に死が訪れる(中央のドクロ)ことを表している。

いつの時代も人は変わらない?

 こうして見ると、2,000年前と21世紀の現代は思った以上に似ている。市民生活もさることながら社会の構造や格差の問題、それに対する人々の意識や行動に至るまで、かなりの部分で一緒と言ってもよさそうに思える。

 結局のところ、いつの時代も人は変わらないのだろうか?