アドべント・フィヨルドに光が指しこむ

 一瞬で過ぎ去る年と、長い年月が経った気のする年がある。2023年は久しぶりに長かった。

トップ画像:極夜が明けたばかりの北極圏・スヴァールバル諸島、アドベント・フィヨルドに陽光が差しこむ。

2023年のうちあけ話

 ここ5年のあいだ、うつ病と記憶喪失に苦しんだ(うつ病そのものは2022年に寛解の診断を受けているが、いろいろと後を引いていた)。アイデンティティを完全に忘れる体験をした。キツかった(これまであまり公にしなかった話をするのは、もう大丈夫だと思えるようになってきたからだ)。

 2023年はそんな状態から、自分がどんな人間だったのかをすこしずつ思い出す再生の年だったように思う。闇が深くなるのは、夜が明ける直前であればこそ。

修士論文

 修士論文を書いた。

 ただ宇宙開発を進めたくて3年もブラックな研究室に耐え、最後に得られた成果が期待以上だった。本当なら自分でジャーナルを書きたいところだが、次の誰かの研究につながるよう願い、妥協せずこだわって修論を書いていた。それを読んだB4の後輩Iが「美しい」と言ってくれて、本当に嬉しかった。

 ところが完成目前に教授から「おまえにこの内容はもったいない(意訳)」と言われ、メインのデータの掲載をほぼすべて制限された。根拠薄弱なこじつけばかりの修論ができあがった。研究者って何だろう。薦められていた博士課程進学、本当に辞めてよかった。

 修士号と引換えに、大学院を退院した。

灰色のキャンパスライフに終止符を打った。

生きている実感を得た旅

 コロナ禍が明け、旅を再開した。特にうつ病で失った生の実感を確かめようと出かけた、北極圏・スヴァールバル諸島への旅は鮮烈だった。

 それは香港にいた小学生以来、12年ぶりに日本列島を飛び出す機会でもあった。不思議なことに、初めて降り立った最初の経由地のイスタンブール国際空港はどこか懐かしく、開放感から羽根を伸ばした。この体感は帰国子女に多い悩みと聞く。大人になっても、日本社会はホームグラウンドではなくアウェイなのだと認めざるを得ない。やはりボクの根底にあるのは海外の空気感らしかった。どのコミュニティにも属せない寂しさを覚えつつ、まだボクには息苦しくない場所があると分かり安堵もあった。

 その後のオスロやスヴァールバル諸島での出来事はまた別の記事にする。オスロでは進んだ社会を目の当たりにし、凝り固まりつつあった「常識」が幻想にすぎないのだと改めて洗礼を受けた。スヴァールバルでは、ホッキョクグマの生息域で遭難しかけ死を感じた。帰りの飛行機でコロナを移され、3月はほぼ寝たきりになった。失った生の実感が蘇ってきた。引越計画が破綻した。

新人研修の荒療治

 コロナの倦怠感が抜けないまま一人暮らしに突入。引越作業中にシステム開発企業に新卒入社。自宅にまだカーテンもない状態で、半年間のハードな新人研修が始まった。

プロジェクターとレコードと紅茶は生命線なんだよ。

 この研修が容赦のないものだった。大学でほんの少しかじったプログラミング知識は、最初の2時間の講義で終わった。うつ病明けの思考力が不満足な状態で、毎日とんでもない量のインプットとアウトプットを課せられた。雰囲気やカルチャーにも慣れず、専攻と畑違いの業界を選んだ自分を憎んだ。なかなかの荒療治だったと思う。3ヶ月ほどしてようやく慣れてきた。

 夏~秋はチームワークが増えた。委員会、部活、サークル、研究室とプロジェクト・マネジメント経験は豊富なので、単独プレーよりも上手くできると思っていた。大間違いだった。女の子とたぶん初めて喧嘩した。ところがこれは自分が何に怒り、何に哀しみ、苦しんだのか、アイデンティティを思い出すきっかけになった。塞翁が馬ということにしておこう。

 9月、うつ病のときから動かない頭に発破をかけて勉強し、ギリギリの点数で基本情報技術者になった。プロキシってなんだっけ?

たくさんの人と会った

 うつ病とコロナ禍で人に会うのを控えていた分、2023年はたくさんの人に会った。夏~秋は毎週のように誰かと会って話を咲かせた。

 うつ病でアイデンティティを失っていたので、夏頃までは人に会うのが怖かった。恐ろしいのは笑えなくなっていたこと。何を聞いても楽しみづらい状態なのに、すこし感情が動いたときですら笑うことができない。笑い方が分からない。何年も笑っていないうちに、笑顔になるための筋肉が消えたかのよう。無理に笑おうと努めて、たぶん引きつった顔をしていたと思う。

 荒んでいた心をほぐしてくれたのは、出会ったばかりの新卒の同期たちだった。本人たちはそうとは知らなかったろうけれども、笑えないボクと雑談を重ねてくれて本当にありがたかった。華麗なフロー設計に驚いたり、手取り足取りプログラミングを教えてもらったり、他愛もない話や進捗を競争したりもした。秋には自然と笑えるようになっていた。感謝。

 高校のクラスメイトFと4年ぶりに会った。一肌剥けてベンチャー精神溢れる男になっていた。大学院での宇宙機開発を卒業して、2024年からEVを作るらしい。久しく自分の奥底に隠れていた、前向きで根拠を必要としない自信に触れた。

 映画館でとある映画を観たあと、YouTubeで主題歌のMVを見て、直感的に覚えのあるデザインに出くわした。フリーランスのデザイナーになった高校時代の友人Tに連絡をとり、5年ぶりに夕食をともにした。大活躍中の彼だが、いまも正直で自分を忠実に持ちつづける姿勢は本当にカッコいい。とかく社会に慣れようと試みて失敗を繰り返す自分に反省した。

 高校と大学の文化祭を観に行った。変わったもの、変わらないもの、自分が残したもの――いろいろあった。けれども例年とちがったのはボクが彼らに持つ印象だ。彼らの元気に当てられたりするのではなく、成長盛りの彼らを穏やかに温かく見守る気持ちがあった。大人になったかはともかく、ボクの性格の変化を感じた(まあ実質一度死んでるからな、経験値がちがう(笑))。一方で地学部同期たちとは宇宙保険の話で弾み、自分の変わらない好奇心とそれを満たせる空間に安心感を覚えた。

 塾講師バイトの教え子Nとも4年ぶりに会った。筋のよい生徒だと思っていたが、当時はあまり勉強熱心には見えなかった。それがいまでは大学生として塾講師の側に立ち、さらには教員になろうとしている。世界が広がったようだ。きっといい先生になるだろう。嬉しさと同時に、うつ病で足踏みしていた歳月も感じられた。

 水泳部同期Tと10年ぶりくらいにちゃんと話した。そこで飛び出したボクのエピソードに恥ずかしさを覚えつつ、もっと周りを観察し、よくモノを見て、さまざまなことを考えていた昔の自分の感覚が一気に蘇ってきた。

宇宙開発の現場に

 10月、研修を終え配属されたのは宇宙開発の現場だった。小学校の図書室や夜の公園で夢見た仕事を自分の手でやっているのに、どこかまだ実感は薄い。しかし12月に入って仕事で自信をつけるような出来事もあり、喜怒哀楽の喜と楽の感情が戻ってきているのを感じる。ユーザーが心温まるような隠しコメントを入れてみたりもしている。

 相変わらずプログラミングは分からないことだらけで、登場したばかりの生成AI「ChatGPT」に頼りきりだ。初学者と生成AIは相性がよい。時代にも後押しされて、なんとかなるさマインドが戻ってきている。もう大丈夫。

2024年にやりたいこと

 2023年は再生の年だったので、2024年は再始動の年にしたい。

登山をはじめる

 修論や仕事で毎日パソコンと向き合う単調な日々を送っていると、生の実感を得られるライフワークが欲しくなってきた。そんな折、北極圏の大自然に触れたり、映画や友人のインスタ、YouTube動画を見て、じわじわ登山欲が生まれてきている。

 自然好き、探検・冒険好き、絶景好き――思えばボクの好きな趣味要素がすべて詰まっている。なぜいままで登山してこなかったのだろう?

彼女をつくる

 恋人は作ろうと思って作るものではなく、好きになった人を恋人にしたくなるものだと思う。仮にそういう人に出会っても、上手く事が運ぶとも限らない。だからこれを目標に据えるのはすこし変だろう。単なるマニフェストだ。でも言っとく。

 あまり大事にされず育った経緯もあり、これまで恋愛や結婚願望はなかった。ところがうつ病と記憶喪失を経て、性格や考えに変化があった。社会に出て一人暮らしをはじめ、落ち着いた生活をおくれるようになった。20代半ばになって、ようやくしっかり彼女を作ろうと思えるようになってきた。

 物心ついた頃からこの歳になるまで男ばかりの環境だった。そもそも一生独りでいるつもりだったから、まともな恋愛経験もない。けれどももしできることならば、素敵な人と一緒にいられたらと思いはじめている。

プログラミングで創造性を発揮できるようになる

 8か月前に入社して、ほぼ初めて触れたプログラミング。まだ設計を実現するためのコードを調べてほぼコピペが精一杯だ。全然体系的な知識になっていないし、何ができて何ができないのかも分からない。ここに大学・大学院でコンピューター・サイエンスを学んだ人との差があると思う。

 しかし知識が身に付くと、プログラミングは創造性を発揮できる道具になるらしい。たしかに新卒同期のなかには、好きなゲームを作っている人がいたりする。アイディアとクリエイティビティなら、ボクには自信がある。その域にいつ到達できるか分からないが、まずは自分の創造性に火がつくまでプログラミングを板に付けることを目標に据える。

勉強の習慣を取り戻す

 うつ病と記憶喪失で、新しい知識が頭に入ってこないし、無理に入れてもすぐ忘れる状態が何年も続いていた。記憶だけでなく考えるのもダルい。それがすこし正常に戻ってきたと感じるのは、2023年も暮れに入ってからだ。

 勉強したいことは山のようにあるので、2024年は勉強習慣を取り戻したい。幸い、いまの会社は大学よりも勉強環境に優れている。自ら設定しない限りテストもないので、自由に勉強できる。上手く立ち回れば研究もできるらしい。最高か?

自分流のポジティブな価値観を再構築する

 昔のボクはオプティミスト(楽天主義者)だった。すこし生き急いでいる節もあったが、どんな恐れよりも好奇心と挑戦心が勝った。

 いまではもう昔のような短絡的で恐れ知らずのオプティミズムは難しい。この数年、残酷で苦しい出来事がたくさんあった。けれどもそういう醜い世界だからこそ、心温まる行為や人とのつながり、美しい光景に意味や価値を感じるようになった。これからも酷い経験をたくさんするだろう。しかしそれに飲まれず、さまざまな苦難の土台の上に、「世界は美しいんだ」という自分なりのポジティブな価値観を築きたい。

 2023年はたくさんの方にお世話になりました。2024年もよろしくお願いします。

2024年初春