劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン キービジュアル

 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が名作だった。鑑賞して時がたつけれど、感情が入り乱れている。ここで一度整理しておく。

トップ画像:「『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト」(http://violet-evergarden.jp/)より引用
©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

ネタバレなしの感想

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のあらすじ

 この映画はアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のフィナーレを飾る作品だ。まずはまだ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を知らない方向けに、簡単なあらすじを紹介。

 戦争孤児として軍に拾われた少女は、言葉も、感情を表すことも知らず、「武器」として戦場に出る日々を送っていた。行動を共にするようになったギルベルト少佐は、そんな彼女に言葉やヴァイオレットという名前を与え、立派な人にしようと育ててゆく。しかし最終決戦時、壮絶な戦いのなかでふたりは負傷。ギルベルトは力を振り絞り、「心から、愛してる」とヴァイオレットに伝え、消息を絶った。

 だがヴァイオレットには「愛してる」の意味が分からなかった。そんなときC.H.郵便社の代筆屋が、客から「愛してる」という言葉を引き出す姿を見る。彼女は「愛してる」を知るための一心で、手紙の代筆をはじめたのだった。依頼者の言葉の裏にある心に触れ、その想いを伝えるべく手紙を綴る毎日。いままで命を奪った多くの人にも、伝えたい熱い想いがあったことに気付くヴァイオレット。自責の念に悩んだりもしながら成長し、少しずつ「愛してる」の意味を分かるようになる。しかし同時に、自分を育ててくれたギルベルトへの想いも募らせていった。

 それから数年後のある日。C.H.郵便社の倉庫で、宛先不明の一通の手紙が見つかる。

PVだけで目頭が熱くなってしまう

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見るのが初めての方には、映画を見るまえにTVシリーズを見ることをおすすめしたい。だがTVシリーズを見ずとも、十分満足できる作品ではあると思う。以下のリンクの動画でも、おおよそのあらすじは分かるので、鑑賞前にぜひ。

素直な気持ちを思い出させてくれる名作

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は、“少女が愛を知る物語”と形容されることが多い。しかしこの物語で愛を知るのは、ヴァイオレットや劇中の登場人物のみではないだろう。観る人にも、言葉にするのが難しい様々な愛という心情を、時間をかけて教え考えさせてくれる。愛にかぎらず、心の奥底にしまってある素直な気持ちを思い出させてくれるのが、この作品の魅力だ。それはTVシリーズの頃から一貫していて、映画でも感じることができる。

 ボクは“泣ける作品”という表現は好きではない。誰しも感動したら泣くわけではないし、良い作品が泣けるものともかぎらない。ついでに言うと、ボクは映画で涙を流したことはほとんどない。

 しかしながらこの映画を観に行く方には、ハンカチやティッシュ、替えのマスクの持参を強く勧める。本当に。涙でスクリーンが見えず困ってしまった。この記事を書くため、YouTubeで予告PVを見直しても目頭が熱くなってしまう。もう一度しっかり鑑賞しなくては……。そんな、心の琴線に触れてくる美しい名作だった。

ネタバレありの感想と解釈

 ここからはネタバレも入れて、映画を観ての感想と解釈を綴ってみる。

“人はそう簡単に素直になれない”

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、伝えづらい素直な気持ちを手紙で伝える物語、というのがストーリーの軸だ。素直になれず伝えづらいからこそ感情が溢れ出る瞬間があり、ときに擦れ違いもあり、物語となっている。

 それをよく表し、深く印象に残った場面がある。ヴァイオレットに会おうとしないギルベルトへ向け、雨に濡れるホッジンズが扉越しに「大バカ野郎っ」と、力なく叫ぶシーンだ。再会を目前にして擦れ違うふたり。ヴァイオレットの痛いほど真摯な気持ち。それらをまえにしたホッジンズのやるせなさが伝わり、涙を流さずにはいられなかった。

 そしてギルベルトのいる島へ向かうまえの、ヴァイオレットの動揺ぶり。普段しっかりしているヴァイオレットが、ギルベルトへ何を言えばいいか、今の自分がどう思われるかを気にし、いつもの冷静さをすっかり失ってしまう。

 ほかにも登場人物が素直になれず、その裏の隠れた熱い想いを感じるシーンがいくつもある。それらは観る人にも、普段は奥底にあり表に出てこない素直な気持ちを、気付いたかのように思い出させてくれる。

 そうして心の内が引き出されたところで、終盤、腑に落ちたのがディートフリートの「人はそう簡単に素直になれない」というセリフだ。一番素直になれていないディートフリートが言うからこそ、深く重く刻み込まれる。本当にそのとおりだなあ。名台詞だ。

ちょっとやりすぎでは……

 素晴らしい名作なのだが、一点だけ気になってしまった。物語のクライマックス、ギルベルトの姿を見たヴァイオレットは居ても立ってもいられず、客船の甲板から海に飛び降りる。ヴァイオレットのギルベルトへの想いの強さが、ひしひしと伝わってくる名シーンだ。

 が、ちょっとやりすぎではないか。ここまででも十分彼女の想いは伝わる内容だった。涙で困るくらいなのだから。そこに来て現実には相当危険な行為を目にすると、逆に感情移入が難しい。

 で、勝手な想像なのだが、あのシーンではヴァイオレットは船から身を乗り出すのみにする。ギルベルトはヴァイオレットが来てくれたこと、自らの自責の念を晴らしてくれたことへの感謝として、「ありがとう! ヴァイオレット!」と叫ぶ。ヴァイオレットも「少佐……また会いに来ます!」と叫び、一旦去る。そして手紙で互いにやり取りしながら、ヴァイオレットはC.H.郵便社の仕事をしっかり責任を持って終わらせる。数カ月後、島へ帰りギルベルトと対面。

 こちらのほうが感情移入できると思うのだけれど、どうだろうか(勝手に話作ってごめんなさい!(笑))。

道具の使いみち

 涙なしには見られなかったもうひとつのシーンが、ユリスの死だ。心配する親友の見舞いの申し出を許さなかったユリスが、死に際に謝るシーン。アイリスが「いけ好かない道具」と言っていた電話が、ユリスの最後の希望を叶えるべく活躍するのは、工学部生として思うところがあった。

 大事なのは、人として想いを伝えたり、願いを実現することにある。そのために作り使うのが道具だ。たとえ媒体や手段がちがっても、それができるものこそよい道具。工学を学ぶ者として、忘れないでいたい。そういう面では、あまり関連のなさそうな『機動戦士ガンダムUC』に通じるところがあるなあと思った。

やはり言葉は大切に使いたい

 手紙の話なので、やはり言葉の重要性を感じた。言葉の重みと言えばよいだろうか。

 この映画ではいままでの作品とすこしちがい、現代に生きる少女デイジーがヴァイオレットの足跡を辿るシーンが挿入されていた。デイジーに行動を起こさせたのは、TVアニメではまだ子供として登場していた、祖母のアンへの手紙。その手紙こそ若くして亡くなった曾祖母が、死後に娘に届くようにと、ヴァイオレットへ代筆を依頼した50年分の誕生日メッセージだ。

 言葉はその人がいなくなっても、ずっと残る。だからその時々で気持ちをなるべく上手く表すために、時間をかけて言葉を選びたい。ときには緊張しながら。自分の死後に家族へ届く手紙を考えるときのユリスのように。言葉を大切に使いたい。