
木曽駒ヶ岳は中央アルプスの人気の山だ。標高は2,956mもあるが、ふもとから2,600mまでロープウェイが伸びているため、ボクのような登山初心者にも親しまれている。日頃から山に登る会社のH先輩ら同伴という、心強い体制で出かけた。
ところがしっかり高山病にかかり、頭痛と吐き気に悩まされた。慢心していた。昨年、過労と睡眠不足を推して富士山に登れた経験から、仕事漬けの今回も大丈夫だろうと思ってしまった。


それでも頭に響く軋みに耐えながら、雄大な景色に見惚れた。ロープウェイを降りると弓状の地形「千畳敷カール」が現れる。約2万年前の氷河期(最終氷期)に、山肌を氷河が削りとり生まれたもので、スヴァールバルのU字谷を思い出す。木曽駒ヶ岳の山頂に近づくと、これも氷河期の名残とされる絶滅危惧種ライチョウが出迎えてくれる。



振りかえると、標高3,000m近いというのに、雲間から岩峰・宝剣岳の手前に台地が見えた。このおどろおどろしい山容は、どうやって、どれだけの時間をかけてできたのだろう。その景色は小説『狂気の山脈にて』の一節を思わせた。
この途方もない情景を前に我々は言葉を失った。既知の自然法則への暴虐的な侵犯が始まろうとしているかのように見えたのだ。ここでは人類が現れる前、五十万年以上の昔から居住不能だった気候の下で、高さ六千メートルに及ぶ地獄のように古い台地の上に、見渡す限り一面に膨大な数の石材が整然と立ち並んでおり、これらを何であれ意識的に建造された人工物以外の物だとするならば、それは単にやけっぱちな精神の自己保存に過ぎないだろう。
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『狂気の山脈にて』