ボクはガンダムが大好きだ。けれど不思議なことに映画館でガンダムを見たことがなかったので、ふと思い立って『閃光のハサウェイ』を見に行った。
結論からいえば、すばらしい脚本とリアリティーを併せもつ作品だった。ハサウェイが矛盾に葛藤する姿は、戦争映画の王道を描ききっていたと思う。
トップ画像:『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』公式サイト(http://gundam-hathaway.net)より引用
©創通・サンライズ
あらすじ
宇宙世紀0105年。
地球連邦政府の腐敗が進んでいた。地球には居住許可証を与えられた一部の人々が住み、持たざる者は宇宙へ送られる。
そんな政府に反省を促すため、反地球連邦政府運動「マフティー」は政府高官を暗殺するテロを企てる。しかしリーダーのハサウェイは、謎の少女ギギ、そして連邦軍の司令官ケネスと出会い、自らの矛盾について苦悩を深めるのだった。
この作品は映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の続編にあたる。『逆襲のシャア』を見ていなくても、また初めてガンダムを見る方でもある程度楽しめるとは思うが、やはり予習しておくとストーリーを追いやすいことは間違いない。
ネタバレなしの感想
この映画は苦悩するテロリストの心情に焦点を当てることで、テロリズムと戦争の矛盾を見事に描ききっていた。たとえば、敵を倒すために犠牲を払うことへの矛盾。戦争モノの脚本としてはデジャヴな気もするが、それは王道とも言える。だからこそ描くのは難しいと思う。
『閃光のハサウェイ』では圧倒的な空気感を感じる描写が、その王道的脚本を引き立たせていた。とくに市街戦、そしてモビルスーツの戦闘は数々のガンダムシリーズと比べても、リアリティーにより満足できた。アニメなので多少は非現実味を帯びた描写も許されると思うし、最近の宇宙世紀系列のガンダムにはそうしたシーンが多かったが、この作品は大変現実味のある内容で違和感なく鑑賞できた。
ストーリーに引き込まれて、あっという間の95分である。
ネタバレありの感想
矛盾と葛藤するハサウェイの姿が印象的
前述のとおり、この映画は「矛盾」の物語だと思う。主人公のハサウェイは数多くの矛盾を抱え葛藤している。あらためてふたつ例をあげよう。
ひとつめ。彼は腐敗した連邦政府に立ち向かう、正義のヒーロー役を自らに課し演じている。ところがその正義のヒーローは市街戦を指示し、ダバオの一般市民を戦闘に巻き込んだ。ある意味戦争モノではベタな矛盾だが、この作品ほど印象深く残るよう描かれたものも珍しい。
そして重要なのは、彼はテロ組織のリーダーでありながら、この矛盾に踏ん切りがついていない。そのため出会ったばかりの少女ギギを見捨てることができず、マフティーのメンバーと合流せずに危険を犯して彼女を助けてしまう。さらに彼女の言葉に同意する形で、自らの指示した市街戦の様子を「ひどい」とまで口にする。
ふたつめ。彼はダバオの空港で、ギギに「世界はゆっくり変わるものだ」という旨の発言をしていた。しかし彼の行いはそれとは真逆である。武力をもって政府高官暗殺を目論むテロリズムは、社会を急速に変えようという焦燥感を感じる。言っていることとやっていることがちがう。しかしテロリズムで歴史の本流が変わることはない。この矛盾は『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの思想を彷彿とさせる。
これらのあからさまな矛盾はどこから来るのか。それはアムロ・レイとシャア・アズナブルの思想だろう。彼の発言は、アムロの「人の輝きを見せなきゃならない」という意志を踏襲しており(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』参照)、マフティーの理念や彼に人が集う理由でもある。そこには人を大切にする姿勢がある。だから彼はギギを見捨てられなかったし、市街戦を見て涙した。周囲の反対にもかかわらずハサウェイの名でハウンゼンに乗り、殺すまえの政府高官たちの顔を見直してすらいる。
だが一方で彼のテロリストとしての行動は、“人を好きになれなかった”孤高のカリスマとしてのシャアを感じさせるものだった(アニメ『機動戦士ガンダムUC』に登場する老人のこの表現は、シャアの人柄を的確に捉えていると思う)。
ハサウェイはアムロとシャア、両者の意志を受け継ぎながらも折合いがついておらず、これが矛盾を生む要因となっているのだろう。
そしてハサウェイ自身は、意識しているかどうかはともかく、これらの矛盾に気付いている。だから劇中で彼は思い悩み、苦しみ、葛藤していた。しかし戦闘は彼を待ってはくれず、クスィーガンダムの初戦では葛藤を封印する。「人間関係を忘れる」という妙な言い訳で自分を言い聞かせ、出会った現実や人々を見つめないよう務めた。だが、どう考えても問題解決を先延ばしにしただけである。
第二作で彼は自らの矛盾とどう向き合うのだろうか?(三部作とは知らずに鑑賞したので、エンドロールに入った瞬間「やられた!」と思った)
市街戦のリアリティーに圧倒された
先述の矛盾を描いた脚本にくわえ、印象的だったのが市街戦のシーンである。あまりのリアリティーに圧倒された。
説明がむずかしいのだが、ここでいうリアリティーは見た目の話ではない。リアリティーにもいろいろある。実際にその場で見ているかのような景色を求めるのであれば、実写やVFXにはかなわないだろうし、映像美としてのリアリティーを求めるならアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や映画『言の葉の庭』がよい例だ。
『閃光のハサウェイ』の描写ももちろん細密なのだが、この作品のリアリティーの本質は空気感と画角にあったと思う。モビルスーツの戦闘を至近距離から人間目線で描いている。俯瞰的ではなく主観的に市街戦に巻き込まれる。突然建物をビームが貫き、路上で逃げ惑う人々の頭上に融解して赤く染まった瓦礫が降り注ぐ。モビルスーツは前触れなくビルに衝突し、柱や天井が音をたてながら崩れてくる。悲鳴をあげ涙を流し、身体が強張る登場人物の姿に、見ている側も動揺せずにはいられない。その場にいる気がして、つい「逃げろ!」と心のなかで叫んでしまった。恐ろしい。
この市街戦の空気感を見事に描いたことで、より脚本が引き立ったと思う。こういう見た目のみの重視ではなく、脚本ありきでリアリティーが追求された作品はボクの好みだ。
付けくわえて個人的な着眼だが、見た目としてのリアリティーにも大変満足した。ロケットがつくりだした夜光雲の描写は、実物と遜色ない表現だった。夜光雲が登場するアニメはおそらくこれが初めてではないだろうか?