宇宙船の煙突はカッコいいか?

 年に1度、日本科学未来館で開かれるお祭り「ロケット交流会」。日夜ロケットを作っているエキスパートからボクのような学生まで、さまざまな人がごちゃまぜになる面白いイベントだ。備忘録を軽くまとめた。

国産有人ロケット論

 ロケット交流会では例年、パネルディスカッションで国産有人ロケットの話をする。これがおもしろい。

 今の日本は宇宙開発に消極的だ。諸外国が将来を見据え大金を注ぐなか、年々予算が減るのは日本くらいだろう(教育や学術全般で言えることだが)。国産有人ロケットなど開発構想すらない。

 しかし有人ロケット・宇宙船はエンジニアの夢だ。予算がどうこうの話ではなく、つくってみたい。あわよくば自分が乗りたいと、会場の誰もが思っているだろう(もう乗った宇宙飛行士の方もいらっしゃるけれど)。それを本音で話しあう場がロケット交流会だ。

基準をつくる側に立つ

 ディスカッションで参加者に危機感を与えたのが「いま有人ロケットを作らないと作れなくなる」という話。「いつやるの? 今でしょ!」のフレーズが頭に浮かんだが冗談ではなかった。航空業界を見るとその理由がよくわかるという。

 初の国産ジェット旅客機「MRJ(現・三菱スペースジェット)」。ボクが小学生の頃からニュースになっていたが、大学生になっても運航せず納入を延期している。「MRJ」が苦戦するのはなぜか。安全基準を作る側にいないからだという。

 1990年代、ジェット機の安全審査の量は今の3分の1ほどだった。ところが審査項目は開発しながら作られていく。30年たつと膨大になる。新規参入はノウハウがないと難しい。

 いま「MRJ」は審査を受け基準を守る側にいる。審査を作る側にいればここまで大変ではなかったはず。なるほど、基準は守るものというより作るべきものなのだ。

 さて、世界では民間の宇宙開発が加速している。今年アメリカで初めて民間の有人宇宙船が軌道に乗る。つまり審査を作りつつ開発している真っ最中なのである。いま有人ロケットを作らないと、あとがないかもしれない。

大プロジェクトのはじめかた

 いま作ろうと言うにしてもきっかけが必要になる。何事もはじめが難しい。

 これも「MRJ」がよい例としてあげられた。開発のはじまりは国が動いたのだろう、と思っていたがそうではなかった。何人かのエンジニアが言いだし、しまいに国が呼応するまでになった。

 大プロジェクトをやるかやらないか。組織で人が集まって話しあうと大抵NOになる。過去の例と比べてしまい、話は進まないし始まらない。どうしても国や企業ではビジネスや採算の話が前面に出てくる。

 実は大プロジェクトは個人の問題だという。熱意のある人が突っ走って騒ぎ、最初は半信半疑で聞いていた周囲から「実はやりたかった」と言う人が現れ、いずれ騒ぐ人に皆がつく。

 だから何かしたいときに後先考えすぎてはいけない。覚悟を決めて突っ走らなくてはいけない。大切なのは起爆剤だ。

 ちなみにAirbusもBoeingも採算度外視で、黒字になったことがないそうだ(防衛関連で何とかなっているかもしれないが)。

宇宙好きを増やせ!

 「実はやりたかった」と言う人がどのくらい出てくるかも重要だろう。ディスカッションでは宇宙と関係の薄いであろう政策投資銀行の方も登壇されていた。その方によると異業種の人(たとえば印刷)でも、宇宙をやりたくてきっかけを探していたりするらしい。

 実はみんな宇宙をやりたいのかもしれない。

 同時に「宇宙をやるには時期尚早と考える人が多い」とも言っていた。実際にはまったくそうではないのだが。このイメージを変え宇宙に関わる人を増やすには、宇宙好きを増やすしかない、というのが会場での結論である。

宇宙を生業とするための心がまえ

 “交流会”というだけあって、パネルディスカッションのみならず交流もある。とても気になっているベンチャー企業の方とお話しする機会があった。

「仕事にはどんな能力が必要ですか?」
「学部で習う内容はコミュニケーションの最低条件。さらに専門性もないと仕事にならない」

 うっ……苦しい。大学で習っている内容は不完全、特筆すべき技術や専門性も身につけていない。

「大学4年や修士でも、インターンに行ってお役に立てることはありますか?」
「学年や歳なんて関係ない。できる奴なら誰でもいい。教えないといけない手間のかかる人は、インターン含め何しに来たと言いたい」

 愚問だった。本気で宇宙で生計を立てて生きていくのに、技量がないと話にならない。当たり前の事実を改めて確認することになった。

宇宙船の煙突はカッコいいか?

 サークルの大先輩、Nさんがおもしろいことを仰っていた。

 ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』では、人が乗りこんだ砲弾を大砲で打ちだし月へ向かう。その砲弾にはなぜか煙突が付いている。当時科学の最先端だった蒸気機関車の煙突をイメージしているらしい。21世紀の今では滑稽に思えるが、昔の人は未来っぽさを感じたのだろう。

 アポロ計画で人を月に送ったサターンVロケットは、白黒の市松模様をしていた。コントラストの効いたカッコいいデザインと思うのだが、Nさんは「いまの若い人はあれがカッコいいと思うの?」と驚いていた。実はナチスのV2ミサイルを真似ていて、もとは映像からミサイルの姿勢を観察するためのものだったという。そう言われても、ボクはデザインとしてカッコいいと感じるのだが(笑)。

 2つ例をあげたが、Nさんが仰っていたのはエンジニアが持つべき視点についてだ。モノを既存のシステムありきで見たり、見た目のカッコよさだけで見てはいけない。作ったときの環境下でいかに最適に近づく工夫を凝らしているか。そこにカッコよさを感じるべきだという。

 最後にもう1つ例。スペースシャトルをはじめ、人は宇宙船に翼を付けたがる。これは飛行機のカッコよさのバイアスがかかっていないか? 本当に合理的なのか? いまのボクには分からないし、宇宙界隈でも賛否両論ある。宿題ということにしておこう。